坪内逍遥の妻は売春婦だった!?

 樋口一葉が「にごりえ」で描いたのは、丸山福山町にある「銘酒屋」の物語。「銘酒屋」という名前からは「居酒屋」がイメージされますが、実はお座敷クラブ風の売春宿。酒を飲んだあとには(ときには酒を飲む前に)、娼妓(しょうぎ)を抱ける場所でした。本郷の東京大学から巣鴨方向に少し歩いたところにも、根津遊郭という銘酒屋街があり、東大の学生や教授陣で繁盛した街です。「小説神髄」(しょうせつしんずい)などで知られる坪内逍遥(つぼうちしょうよう)は、ここの銘酒屋に通いつめ、とうとうお気に入りの娼婦と結婚してしまいました。その結果、生涯妻に苦しめられることになります。

金持ちエリートの極楽とんぼ学生だった坪内逍遥

ビル

 坪内逍遥は尾張藩代官所手代の息子ですので、いわゆる名家の出。子どもの頃から勉学に優れ、東京帝国大学に入学して間もない頃から文才を発揮、新聞に連載記事を載せるほどのスター学生でした。26才のときには、小説「当世書生気質」(とうせいしょせいかたぎ)や、文芸理論書の「小説神髄」(しょうせつしんずい)を書いて、一躍文壇のリーダーに躍り出ます。もともとわが国にはなかった「小説」という言葉を発案したのも、坪内逍遥です。

子どもの頃から勉強のできる神童でしたが、一方で遊び好きの放蕩学生。勉強だけでなく女遊びも盛んで、自ら「極楽とんぼ」と称していました。懐にお金があれば、根津遊郭に足を運んで娼婦を抱くという生活をしていて、特に「大八幡楼」(おおやわたろう)という銘酒屋の「花紫」という源氏名の娼婦にいれあげます。花紫は本名を「せん」といい、逍遥よりも5つ年下の可愛らしい娘。情に深く、セックステクニックも抜群でした。東大生を相手にする芸妓(げいぎ)の中には、シンデレラを夢見て「卒業したら一緒になってね」と口説く者もいましたが、本気にする学生などいるはずもありません。ところが、逍遥だけは違いました。花紫こと、せんから下半身をつかまれて「結婚して」と頼まれると受けてしまったのです。

わがまま妻に振り回されて神経衰弱になった!?

 薄幸に生まれたせんは、マイフェアレディのように金持ちの妻となるわけですが、人生はそれでは終わりません。一般に、逍遥とせんは仲睦まじい「おしどり」夫婦だったと言われていますが、実はそうでもなかったのです。エリート学生と芸妓の「明治の美談」は作られた話。逍遥自身が、自分の「早まった」結婚をを恥じてとりつくろったこともあってでき上がった「嘘」なのです。

せんは必死に「賢夫人」になろうと努力しますが、そのことによってかえって逍遥を苦しめてしまったのです。33才で「早稲田文学」を創刊するなど逍遥の仕事は順調でしたが、せんのワガママに苦しめられて、40才になる頃には神経衰弱におちいります。心はボロボロになってしまったのです。44才で健康を害して早稲田中学の校長を辞任、睡眠薬を常用しても眠れない状態になってしまいました。夜の生活も難しくなり、それも逍遥を苦しめます。今ならバイアグラもありますし、そのジェネリック医薬品もあって簡単にEDは改善できますが、当時はそんな薬はありませんので、どうすることもできません。若い頃には精力絶倫だっただけに、余計に苦しんだことでしょう。

娼妓時代の性生活が原因か、せんには子どもができず、逍遥は46才のときに「くに」を養女にもらいます。くにの回想によると、「医者公認の自殺も同然」の死だったそうです。逍遥は日記にせんのことを述懐した記録を残しましたが、彼が亡くなるとすぐに、せんは焼却してしまいました。