姦通ばかりしている鉄幹と子づくりに励んだ与謝野晶子

 与謝野鉄幹は歌人としてというよりも、与謝野晶子の夫として名を残した人といえるのではないでしょうか。妻がいながら若手歌人のホープであった晶子を愛人にし、彼女が激しい愛をテーマに歌ったことから、鉄幹自身も名を残しました。正岡子規は「鉄幹是ならば子規非なり」と、鉄幹の歌がいいというのは子規を否定するのと同じだとまで言い切っています。

鉄幹の歌人としての才能は枯渇しても、下半身の能力は死ぬまで枯れませんでした。普通ならバイアグラが必要になるはずの年齢になっても精力は衰えず、晶子を12回も妊娠させています。自信のなくなった世代の人たちにとっては羨ましい限りの能力です。最近はジェネリック薬も登場してED薬も手に入れやすい価格となっています。「もうだめかな」と感じたら、薬の力を借りて鉄幹を目指してみてはいかがでしょうか。

晶子はもともとウブな少女だった!?

ビル

 与謝野晶子は、タンカを切るような激しい愛を歌ったことで人気を得ました。「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」という歌は、私の素肌にふれもしないで偉ぶって話してるんじゃないわよ、早く抱いてよ、と主張しているわけですが、これを歌ったころの晶子はまだ処女。良家のお嬢様だった彼女は、愛やセックスをただただ夢見るだけのウブな少女でした。

一方の鉄幹は有名なプレイボーイ。セックスに関してはほとんど倫理観を持たないといってもいいほどの男で、高校で国語教師をしていた時代に、複数の教え子と性的関係を持ちました。そのうちの一人と最初の結婚をしますが、二番目の妻も教え子でした。うら若き処女たちと二股、三股をかけて付き合っていたのです。そんな男の前に、育ちの良い美人が現れ、しかも「早く抱いてよ」などと歌うのですから、鉄幹としてはたまったものではありません。妻がいることなど忘れて、手を出してしまいました。しばしば、晶子が奥さんから鉄幹を奪い取ったかのようにいわれますが、実際には鉄幹が巧みな話術と性的テクニックで晶子をものにしたのです。

鉄幹に毎年妊娠させれつづけた晶子

 与謝野夫妻の性生活は、とても充実していました。その証拠に晶子は24年間で12回妊娠しています。出産を終えるとすぐにまた子づくりをしたことになります。もちろん、いくら鉄幹が性的に旺盛であっても妻が受け入れなければ妊娠するはずもありません。晶子の方も、性生活に積極的だったのでしょう。

普通は妻とのセックスライフがうまくいっていれば、他の女性に手を出したりはしないものですが、鉄幹の場合にはそうではありません。妻がいながら晶子をものにした過去がある男ですので、晶子を妊娠させつつ、他の女性たちも口説きつづけました。女性を口説くことが生きがいだったのかも知れません。晶子はそんな鉄幹との生活に不満を抱きつつも、毎年のように妊娠させられるので、別れるタイミングもありません。出産と子育ての合間に創作するのに忙しく、離婚に向けるエネルギーはなかったのでしょう。その代わりに、歌人としての名声はどんどん高まりました。

晶子は鉄幹と結婚してからは、どんどん成長していきました。鉄幹は「アゲマン」ならぬ「アゲチン」だったのでしょう。ただ、歌人としての評価はただただ下がる一方でした。