芥川龍之介は姦通に悩みつづけた!?

 芥川龍之介は東京帝国大学の在学中に「鼻」という短編を発表しましたが、これを明治の大文豪夏目漱石が激賞したことで一躍文壇のヒーローとなります。 「理知の作家」と言われ、数々の名作を残しましたが、35才で自殺してしまいました。芥川自殺の大元となったと言われているのが、秀(ひで)しげ子との姦通です。芥川27才のときのエロチックな人妻との不倫。相手には夫がいたばかりか、芥川の弟子とも関係を持っていました。三角、四角の肉欲関係に心から傷ついた彼は、その呪縛から逃れられず死を選んだのです。

念願の人妻とセックスできたのに後悔ばかり!?

ビル

 芥川龍之介と秀しげ子が出会ったのは1919年6月10日。岩野泡鳴(いわのほうめい)主催の会合の席でした。しげ子は歌をよみ、劇評も書く新しいタイプの和風美人で、芥川は一目で彼女にひかれます。3か月後の9月15日、ふたりは肉体的に結ばれます。禁断の実を食べてしまったのです。その日の日記に彼は「はじめて愁人と会す。夜に入って帰る。心乱れて止まず。自ら悲喜を知らざるなり」と記しています。「愁人」とはしげ子のことで、「会す」は会ったという意味ではなく、交わったことを指しています。

さらに、10日後の9月25日には、「愁人と再会す。夜帰。失う所ある如き心地なり」とあり、2回目の交合をもったことを記しています。憧れの女性とねんごろになれたのですから、普通は喜びにあふれた感情を記すものですが、芥川は淡々としており、しかも「失う所ある如き」と重苦しい心情も吐露しています。当時は人妻が浮気をすれば姦通罪。相手の男、すなわち芥川自身も同罪です。この数年前に、北原白秋が姦通罪で逮捕され、名声を失ったばかり。芥川は自分も白秋の二の舞になるのではないかとおそれました。白秋のもとを訪ねて、顛末(てんまつ)を詳しく聞いたほどです。

抱いた人妻は、実は恐ろしい女だった!?

 しげ子には夫と息子が一人いましたが、芥川との密通が始まってから二人目の子を妊娠。その子を出産した後で、芥川に言いました。「この子は夫よりもあなたに似てるわね」と。実際、誰の子だったかは分かりません。夫の子かも知れないし、芥川の子かも知れない。しげ子のその言葉に芥川は背筋の寒くなる思いをします。姦通罪に加えて不倫の子までいるとなれば、大変な大事件になるでしょう。しかも、しげ子はそれを楽しんでいるようにみえます。

さらに、恐ろしいことが発覚します。しげ子にはもう一人愛人がいたのです。それは芥川の弟子の南部修太郎。しげ子は3人の男と同時に肉欲関係を結んでいたのでした。このような事態は芥川の想像を超えていました。常識的な倫理観を持たず性的に貪欲すぎる女しげ子に、芥川は恐怖を覚えます。そして、彼女から逃げるために中国・朝鮮へと旅立ちました。1921年の4月か7月までの4か月間、上海や南京など各地を旅し、途中で自殺も試みます。芥川が「自殺」願望にとらわれはじめたのはこの頃からです。

芥川龍之介は、6年後に妻の寝ている隣で服毒自殺をするのですが、残した遺書のひとつには、「南部修太郎と一人の女(秀しげ子)を自分自身ではまったくそのことを知らずして共有していた。それを恥じて自決をする」と書かれていました。