「放浪記」の林芙美子は「男」でも放浪していた!?

 林芙美子はとても貧しい生まれ育ち。幼少期には母と養父とともに全国を放浪しました。そうした生い立ちを小説にしたのが「放浪記」。当時の文壇からは「稚拙な小説」とバカにされましたが、舞台化されて大人気小説となります。以降、芙美子は生活のために書くことに貪欲で、生涯多くの作品を残します。貧乏な時代に同棲を始めた画学生と後に結婚し、生涯をともにしました。離婚もしていないので「結婚生活」は順調だったかのようにみえますが、実は男遊びは盛んで、かなり淫乱な女性だったようです。

人生も放浪、男も放浪!?

ビル

 林芙美子の母は旅館の娘でしたが、大の男好き。独身時代に3人の子をもうけますが、いずれも父親は別人です。芙美子の父親は旅館の客で服の行商人。認知をしなかったので、芙美子は私生児として生まれ、母の5人目の男が芙美子の養父となりました。父親の仕事の関係で、幼いときから全国を転々と渡り歩き、ずっと貧乏な暮らしを続けてきました。十代後半になると芙美子にも男ができ、その恋人を追って上京しますがすぐに捨てられてしまいました。

印刷工場で行員として働いたり、寿司屋の皿洗いをしたり、毛糸やの売り子や封書の宛名書き、カフェのウェイトレスなどさまざまな職を転々としながら何とか生活します。母親に似たのか男なしでは生きられない性格で、新劇の俳優と3カ月同棲して別れ、詩人と1年同棲して別れ、とつぎつぎ男を変えていきました。何人もの男たちと肉体関係を結んだ後に、貧乏な画学生だった手塚緑敏という男と結婚し、生涯連れ添いました。ただ、それで男と縁が切れたわけではありません。その後も多くの男性と関係を持ちつづけたのです。

お金持ちになったら男遊び!?

 手塚と結婚してからの芙美子はずっと貧乏生活でしたが、小銭稼ぎのために小説を書き始めました。そんな中で文芸誌に連載で載せた「放浪記」が出版社の目に留まります。当時、着るものにも困っていたため自宅では赤い水着一枚ですごしていましたが、あるとき裸同然の水着姿で洗濯をしているところに客があり、それが改造社の編集者だったのです。「放浪記」はベストセラーとなり、芙美子は一夜にしてお金持ちとなりました。

成金になった芙美子は世界中を旅して歩くようになります。夫の手塚は日本に残したままのひとり旅です。まだ海外旅行などする人がめったにいなかった時代のこと。女性がひとりで外国にいくのはとても勇気のいることだったはずですが、幼いころから放浪生活を経験してきたからか、芙美子は気楽に旅行して回りました。そして、行った先々で男を見つけます。パリでは有名画家を追いかけ、考古学者ともいい仲になります。さらに、国内でも姦通を続け、ある詩人からは淋病をうつされたと訴えられたこともありました。

精力的な小説家でしたが、態度も大きく口も悪かったのか淫乱な性質ゆえか、特に女性作家たちからは嫌われていたようです。47才のときに、うなぎを食べ過ぎて心臓まひで急死してしまいましたが、葬儀委員長の川端康成はこう弔辞を述べました。「ときにはひどいこともしたのでありますが、しかし、あと2、3時間もすれば故人は灰になってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人を許してもらいたいと思います」と。葬儀には女性作家はひとりも参列しなかったそうです。奔放な女は、女性からは嫌われるのかも知れません。