文学+旅行を楽しむ 熊本編

 日本には各地に文豪ゆかりの地というものがあります。九州の熊本は明治を代表する文豪が暮らし、訪れていたことでも有名です。今回はそんな熊本に関わる文豪とその足跡を紹介します。

夏目漱石と熊本

ビル

 「坊っちゃん」や「草枕」「吾輩は猫である」などの作品で有名な夏目漱石はこのくまもとに深い関わりのある人物です。愛媛県の松山での1年の教師生活の後、漱石は現在の熊本県熊本大学のある場所にあった第五高等学校に教師としてやって来ると4年と3ヶ月熊本で生活しました。この時に生活した家が現在も熊本市中央区坪井町と水前寺公園そばに残っています。

特に坪井町の家はは熊本に住んでいた際に最も長く住んでいた家で、漱石の長女がこの場所で生まれています。奥さんの鏡子夫人はこの場所での生活が一番良かったと振り返っていたそうです。現在は記念館として直筆の原稿や第五高校時代の写真などが展示されています。この他にも熊本市の西にある金峰山や玉名市の小天温泉は「草枕」の舞台になり、阿蘇観光で訪れた内牧温泉は「二百十日」の舞台になりました。

小泉八雲と熊本

 日本の怪談をまとめたことで有名な人物といえば小泉八雲、またの名をラフカディオ・ハーンですね。生まれは当時イギリス領だったギリシャの島ですが、1890年に来日すると日本で英語教師をするようになります。

当初は島根県松江市の中学校で英語教師を努めますが1891年に夏目漱石と同じく、熊本県の第五高等学校に赴任します。この時に生活した家の復元したものが現在も熊本市中央区安政町にあり、八雲の足跡の紹介からから当時毎朝拝礼していた神棚があります。この熊本生活の中で日本について書かれた「知られぬ日本の面影」「東の国から」が書かれました。

熊本生まれの徳富蘆花、蘇峰の兄弟

 徳冨蘇峰、蘆花の兄弟は熊本県の水俣市で生まれました。兄の蘇峰はジャーナリストから歴史家、思想家、評論家と多彩な顔を持ち、国民新聞を創刊して言論人として活躍し全100巻にもなる歴史書を執筆しました。弟の蘆花は兄の作った国民新聞に出世作となる「不如帰」を載せ、後に小説家として名前を残します。しかし、お互いの思想違いが生まれるとその後は関係を断絶してしまいます。二人が和解したのは蘆花が臨終の間際だったそうです。

しかし、兄の新聞社が日清戦争の直後に起きた日比谷焼打事件の被害にあった時には作品を寄稿するなどの兄弟の絆を見せました。熊本市には二人が少年時代を過ごした住居後と蘇峰が作った私塾、大江義塾の跡地があり、生まれた土地である水俣市には記念館もあります。この他にもゆかりある場所なのが阿蘇山を一望できることで有名な大観峰です。蘇峰が熊本に帰省した際に阿蘇に観光で訪れたのですが、その時に地元の人の依頼で名付けたそうです。

この他にも熊本は様々な文学者が訪れています。与謝野晶子、鉄幹夫婦が観光で阿蘇に訪れたときには阿蘇山にまつわる歌を残し、与謝野鉄幹や北原白秋たちが訪れた柳川、長崎、天草、阿蘇の旅行を書いた五足の靴などの歌碑などが残されています。天草には彼らが歩いた場所が遊歩道として残っています。

熊本は明治を代表する文学者が多く訪れた場所でもあります。ぜひ熊本旅行の際にはその足跡を辿ってみてはいかがでしょうか。