町田康の描く現代文学

 町田康は現代作家の中でも、独特な表現方法から評価が真っ二つに分かれてしまう作家の一人です。しかし、彼の言葉選びのセンスは誰もが認めざるを得ない強烈な個性を持っています。一文読んだだけで、彼の作品であるとわかるその文体は他の誰も持っていないものです。
・町田康 - Wikipedia
・OfficialMachidaKouWebSite

意外にも純粋な文学性

ビル

 その独特の文体ばかりが注目されがちですが、彼の作品の多くは純粋な文学性を持った作品がほとんどです。まさに、純文学の王道を行く作家であるといえるでしょう。独特の文体で日本語の使い方を根本から破壊することを試みた中期の筒井康隆とはまた違った形で日本語を破壊し、再構築していったかのような言語感覚によって、この純粋な文学性に個性を持たせています。

現実と空想の間

 基本的に、彼の作品は男性の一人称で書かれています。完全に彼の視点から描いているため、その目に見える現実の世界と、頭の中の空想の世界が一体となって描かれています。あまりにもめまぐるしく世界が動くため、慣れていない読者は混乱してしまうかもしれません。しかし、この混乱も当然のことでしょう。突然別人の視界や頭の中を見せられる形になりますので、いきなりすべてを理解することができるわけがありません。そんな現実と空想の間に立たされたまま世界を眺めていると、不思議な感覚になってしまいます。多くの読者が彼の作品に受ける不思議な感覚は、読者の立ち位置によるものでしょう。初期の作品では、この感覚を意図的に使っていたわけではないようですが、芥川賞受賞作である「きれぎれ」以降では明らかにこの意図をもって読者を不思議な世界に放り込んでしまいます。まさに、体験型文学という新しいジャンルを町田康は築きあげています。

 多くの作家が存在する現代でも、町田康は特に強烈な個性を持った作家の一人です。現代文学を知りたいのであれば、絶対に彼の作品を外すことはできないでしょう。