岡本かの子は一妻多夫を実践した!?

 世の中には美人でもないのに男性を惹きつける魅力をもった女性がいます。漫画家岡本一平の妻であり、天才画家岡本太郎の母であるかの子は、まさにそういう女でした。跡見学園時代のあだ名は「蛙」(かわず)。谷崎潤一郎はかの子について、「おしろいデコデコの醜婦(しゅうふ)で、着物の趣味も悪い」と酷評、亀井勝一郎は「十年の甲羅を着た大きい金魚」とけなしています。実際のところはこれほどボロクソに言われるほど醜くはなかったのでしょうけれど、少なくともモテモテになるほどの美人ではなかったはずです。

そんな女性であるにもかかわらず、夫の一平からは熱烈なラブコールを受けて21才のときに結婚しました。これが初めての恋愛ではなく、一平と出会う前には伏屋武龍という男性と駆け落ちして同棲したこともあります。どこかに男心をさそう性的魅力があったのでしょうし、男をながく引き留めるだけの性的テクニックの持ち主でもあったのでしょう。一平との結婚生活の中で何人かの愛人を作り、夫婦の自宅に住まわせたりしています。一妻多夫を実践した進歩的女性でした。

お金持ちのお嬢様で、精神的には少しおかしかった!?

ビル

 かの子は東京の大地主の娘で、わがまま放大に育てられました。「蛙」などというあだ名をつけられていたにもかかわらず、自分をブスだとは思っていなかったようで、16才のときには「野薔薇」(のばら)という雅号(がごう)を名乗り、和歌を投稿したりしています。岡本一郎は東京美術学校在学中にかの子と出会い、ずっと熱を上げていましたが、朝日新聞に掲載された夏目漱石の挿絵が高い評価を受けて人気が出たことから生活にめどが立ち、かの子にプロポーズをして結婚しました。かの子21才のときです。

翌年に長男の太郎(岡本太郎:画家)が生まれますが、この年にかの子の実家は破産。一方で一平は朝日新聞の社員に登用されて収入は安定していきます。実家の大事に心を乱されたかの子は、一平の収入が増えたことをいいことに、男あさりを始めてしまいました。早稲田大学の学生だった堀切茂雄と姦通したのです。しかも、誰の子なのかわからない娘を出産します。さらに、茂雄を自宅に住まわせ、夫と愛人との共同生活を始めました。尋常な神経ではとてもできそうにないことです。一平の方は、かの子の精神状態がおかしくなりつつあることを心配して、望むとおりに受け入れることにします。

夫とのセックスは厳禁!?

 3年間の三角関係生活ののち茂雄が病死してしまうと、さらに精神的に不安定になったかの子は聖書を読んで一大決心をします。「夫とは生涯にわたってセックスしない」という誓いを立てたのです。28才のときです。ただ、かの子自身が性行為を絶つということではありません。慶應の学生だった恒松安夫(後の島根県知事)を愛人として同居させ、恒松とは毎日性交したのです。

さらに、35才のときに痔の手術のために慶應病院に入院した際、外科医の新田亀三とねんごろになってしまいました。そうこうするうちに、新田も岡本家に同居することになり、夫と愛人二人との共同生活という実に奇妙なハーレムをつくり上げます。一平の漫画が売れて「一平全集」がベストセラーになると、そのお金でみんなでパリへと旅行。一平、恒松、新田と長男太郎、5人一緒の旅行です。全員がかの子の膣でつながっている関係でした。

岡本かの子の膣には特殊な力があったのかも知れません。男たちを狂わせ、夫と愛人と一緒に暮らす奇妙な一妻多夫の生活を実践していました。