杉田久女は高浜虚子にストーカーした!?

 清貧で美しい人妻は、男をムラムラさせるものです。杉田久女はなにかが足りなくて、「ムラムラ」の女になり切れなかったのかも知れません。久女は大蔵省の書記官の娘として生まれた、いわばエリートの家柄。東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)付属高等女学校を卒業した才女です。「いいとこのお嬢さん」にありがちですが、気位が高く、エリートと結婚したいという願望も強かったようです。少し頭が良すぎたことが、色気の邪魔をしたのかもしれません。高浜虚子にストーカー行為をして除名されたという逸話があります。

いい男と結婚した!と思っていたのに、そうでもなかった!?

ビル

 久女は自分の育ちや学歴とマッチする男性と結婚したいと強く願っていました。性格や稼ぎよりも、出身大学名や職業といった点に結婚の条件を設定していたのです。そんな彼女が20才のときに、東京美術学校出の画家に求婚されます。東京美術学校というのは、現在の東京芸大。わが国芸術界の最高峰の大学です。西洋画科を卒業した杉田宇内はエリー。「将来の大物画家」からのプロポーズに、久子は舞い上がってしまいます。杉田の「いずれ僕はフランスにわたり、世界的な画家になってみせるんだ」という言葉にうっとりして、抱かれたのでした。

確かに美術大学を卒業するのはとても難しいですが、画家として食べていくのはとても大変です。多少の才能ではとてもなれるものではありません。杉田の語った言葉はただの夢物語に過ぎなかったのに、「夢見る乙女」だった久女は、その夢が現実になることしか想像できなかったのしょう。実際の杉田は、小倉の中学校の美術教師の職を得て、その生活に埋没して「フランス」などという夢を語ることもなくなりました。夢に抱かれた久女は、夢を失うと性的興奮も失ってしまいます。

久女は夢物語を追い求めつづけた!?

 夫がただのグータラ美術教師に過ぎないことに気づいた久女は、もっと大物の男性と親しくなりたいと思い始めます。彼女にとって夢のある生き方というものが、エロスだったのでしょう。たまたま日常生活のグチを俳句にして応募したところ、それが絶賛されてしまいました。当時はイプセンの「人形の家」がはやっており、その主人公「ノラ」は誰もが知っている「自立した女」の象徴。それをうまく使って久女は、「足袋(たび)つぐや ノラともならず 教師妻」と歌いました。「ノラになりたいのになれない人妻」は当時の世の中に大勢いました。久女の俳句はそうした人たちの心をとらえます。

これを機に、彼女は高浜虚子に弟子入りします。そして彼を「救いの神」として崇拝し始めるのです。虚子にしてみれば、ただの弟子に過ぎないのに、久女の心はすっかり愛人気分。虚子が病気で入院すると、菊の花を干して枕袋につめ届けます。「ひろげ干す 菊かんばしく 南緑」とラブレターも添えました。虚子には無視されますが、舞い上がった久子がひるむことはありません。その後もラブレターを送り続け、実に250通も書いたのです。こうしたストーカー的な行為がもとで、虚子に破門されてしまいました。

虚子に拒絶された久女は体をこわし、病院への入退院を繰り返します。ノイローゼのため麻酔薬を打たれていたとも言われますが、布団の布を切りとり人形にして、ひとりごとを呟き続けていたそうです。